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1古代ギリシャ、エジプト、ペルシャの妙薬ザクロ

8愛と妊娠のシンボル「ザクロ」

2古代ローマ プリニウスの『博物誌』とザクロ

9中国では縁起物のザクロ

3古代ローマ ディオスコリデスの『薬物誌』とザクロ

10故郷オリエントから全世界へ伝えられたザクロ

4インド アーユルヴェーダ医学とザクロ

11ザクロ各国語アラカルト

5中国や日本の古文書にも出てくるザクロ

12日本とザクロ

6 旧約聖書にひんぱんに出てくるザクロ

13日本のザクロ伝説

7豊穣と子孫繁栄のシンボル

14男のザクロ・女のザクロ



古代ギリシャ、エジプト、ペルシャの妙薬ザクロ

「古代ギリシャでは、多くの医学書にザクロの効能が書かれています。医学の父、ヒポクラテス (紀元前4−5世紀)の医学書はもちろん、哲学者デオフラストス(紀元前3−4世紀)の医学 書にもザクロの効用についての記述が見られます。 また、パピルスに書かれたエジプトの医学書をはじめ、中国の漢方書や、インド最古の医学書 『アーユルヴィーダ』にもその効果が記載されています。」 「イランでは、ザクロは汚れた血液を浄化してくれる果実であると考えられています。イランに おける、いわゆるペルシャ医学は、アラビア医学と同様に、紀元前5世紀頃のエンペドクレス (前490−前430頃)とヒポクラテス(前460−前375頃)によるギリシャ医学に端を発しています。」

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古代ローマ プリニウスの『博物誌』とザクロ

「プリニウスは古代ローマにおいて傑
出した著述家、博物学者、自然学者、法律家、雄弁家で あり、さらには将軍・官吏であった人です。その彼が自然
の営みを克明に記したのが百科全書 的膨大な著作『博物誌』です。この『博物誌』には、ザクロについて実に多く
の記述が見られます。

表的なものを挙げてみましょう。
    @寄生虫駆除‥‥ザクロ種子をコリアンダーの種子と一緒にオリーブ油に入れて飲む。
    A下痢止め‥‥‥焼いたザクロの実をすりつぶして飲み、健胃剤としても利用していた。
    Bザクロの汁をハッカと混ぜて飲んで嘔吐やしゃっくりを止めていた。
    Cザクロの皮をアーモンド油と煎じて、耳の中の虫を退治したり、難聴、耳鳴り、化膿な 
      どの耳の 病気に効能を発 揮した。これは頭痛や眼の痛みも消失させた。
D皮を剥ぎ取ってすりつぶした実を、サフランやハチミツなどと混ぜ合わせたものは、口、 鼻、耳、翼状片(爪のま わりの炎症)、性器など、すべての潰瘍に効果的であった。 E酸っぱいザクロは大量にすりつぶして汁にし、ハチミツの濃さにまでして、男性性器 や肛門 の疾患、手にできた赤い斑点を治すのに使っていた。 Fシルフィウムという茸の乳液と一緒に煮詰めた汁は尻のまわりの潰瘍に、レンズ豆と 煮詰めた汁は口、生殖器、肛門周辺に塗って使っていた。
G実の皮をゲッケイジュの油に入れて温めたものを塗れば、筋肉麻痺、けいれん、座骨 神経痛、 あざ、頭痛、慢性カタルに有効であり、また、ブドウ酒で煮たものはしもや け用となった。 Hイチジクと一緒に煮たものは翼状片に効く。 『博物誌』には、ザクロの貯蔵法までも記載され ているところをみると、当時の人たちは ザクロをいかに愛していたのかがわかります。」

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古代ローマ ディオスコリデスの『薬物誌』とザクロ

プリニウスと同じ頃、やはり同じローマ帝国にはもう一人の博識家がいました。‥‥
彼は 哲学者でもあるのですが、軍医としても、ネロ帝とウェスパシアーヌ帝に仕えました。
その間、各地を旅行して得たという植物学の広い知識を『薬物誌」という大著にまとめました。 

@ザクロはロアと呼ばれ、どの種のザクロも美味で胃によい。 A特に甘味の強いものはよい。酸っぱいものは胸やけに効き、収斂作用や利尿作用があり、 ブドウ酒に似たものは甘いものと酸っぱいものの中間である。 B酸っぱい品種はその種子を日光で乾燥させてから肉に振りかけて一緒に煮れば、下痢止め や胃液の分泌調節によく、また雨水でふやかしたものを飲めば吐血に効き、坐浴で用いれば 血性下痢や分娩時の帯下によい。 C種子をすりつぶした汁は煮てからハチミツと混ぜ、口腔や生殖器、肛門にできた潰瘍に、 また爪の翼状片、浸食性悪性潰瘍、耳の痛み、鼻孔の疾患によい。 Dその煎じ汁は出血性の傷を癒着させ、弱い歯茎やクグラグラする歯に有効なので洗口剤によい。 パップ剤として用いれば、骨折した骨も癒着させる。 E大きめの花を三つ飲み込むことができた者はその年はどんな眼の病気にもかからない。 Fシデイア(ザクロの樹皮のことを特にこう呼んでいた)は、収斂作用を持っており、条虫 (さなだ虫)駆除によい。また、この時代にはザクロ酒を好んで愛飲したようで、 その作り方が書かれています。」

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インド アーユルヴェーダ医学とザクロ

 「『アーユルヴェーダ』は三つの古典からなっており、西北インドを代表とする『チャラカ・
 サンヒター』(6世紀頃)、インド中東部を代表している『スシュル・サンヒター』
(紀元前数世紀か、後世の改編ありとされている)、そしてこの二つを体系的に抜粋した
 『アシュターンガ・サンヒター』(7世紀)です。‥‥

この中では、ザクロについては次 のような記述があります。

 @ザクロはすべての人にとって保健に適した食品で、消化を助け、食欲を増し、
   精神を さわやかにする食品である。
 A利尿作用を持っている。
 Bレモン汁に漬けて丸薬としたものを毎朝一粒服用すれば、咳、呼吸困難、腹部腺腫、 腹水、
   心臓病肋膜や膀胱の激痛、脾臓病、痔などに効果がある。
 C点眼剤として用いれば化膿眼によく、また、うがいに用いてもよい。
 D甘草や桂皮、レモンなど10種以上を混合したものは、熱病患者の頭部に塗れば有効で、 
   この塗り薬は頭痛や失神、嘔吐、しゃっくり、震えなどの熱病患者の余病も取り除く。
E出産予定二カ月前からザクロを少量の岩塩とともに食べると安産になる。」

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中国や日本の古文書にも出てくるザクロ

「昔の中国医薬書には、ザクロが、その花や葉、果実、根のすべてにおいて、
  さまざまな疾病に幅広く利用されていることが記載されており、いかにザクロが
  有効で貴重な植物であったかがうかがえます。‥‥中国の医薬学におけるザクロ
  の有用性は日本にも古くから紹介されています。ザクロ自体は平安時代にはすでに
  中国から薬用目的で入ってきていたようで、その効用について書き綴った古文書も
  多く残されています。たとえば、『日用本草』(『食物本草』)『本草蒙筌』
『本草綱目抜粋』などです。」
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旧約聖書にひんぱんに出てくるザクロ

「ザクロは人類の文明とともに生きてきた果樹であり、その貴さはさまざまな古 文書に記され、
史跡にも刻まれています。中でも旧約聖書には、ひんぱんにザクロ が登場します。‥‥ 
 
 アダムとイウが楽園エデンの園を追われる原因となった「禁断の木ノ実」は、『創世記』に よると
「善悪を知る木」「命の木」「知恵の木」といわれているだけで、特定されてはいません。 
ただし、エデンの園には、リンゴ、ブドウ、ザクロ、ナツメヤシ、イチジクが栽培されていたこと 
は確かです。ザクロはリンゴと共に、多産・子孫繁栄・男女の愛の象徴とされ「知識の木」とも 
いわれています。」「大祭司が聖所に入って主の前に出るとき、エポデといわれる祭服の下に青色
の服を着ることが 決められています。この青色の服の裾のまわりには、青・紫・緋色のより糸で作った
ザクロと 金の鈴が、交互に並べられます(『出エジプト記」)。金の鈴の音は、主から死罪を受けない 
よう鳴らすものです。つまりザクロは、災いをさける果実とされていたことになります。」

「モーゼが、主に命じられてイスラエル人たちをカナンの地に導くとき、エシュコルの谷でザクロ、 
イチジク、ブドウを摘みとり安らぎを得ます。ところが、ツィンに着いたときには、皆がその 
荒れ果てた荒野を嘆き『汝ら、なんぞ我らをエジプトより上らしめてこの悪しき所に導きいり しや。
ここは種を播くべきところもなく、イヂシグもなく、ブドウもなく、ザクロもなく、 また飲むべき
水も無し』とモーゼと言い争ったとあります(『民数記』)。」

 また、主エホバが人々に与えようとする美地(良い土地)には、「水の流れあり、泉あり、 
 瀦り水ある地。小麦、大麦、ブドウ、イチジク、ザクロある地。オリーブ油および蜜ある地」
 とされています(『申明記』)。

さらに『ハガイ書』には、
「今後のことを考えなさい。 種はまだ穀物倉にあるだろうか。ブドウの木、イヂジクの木、ザクロの木、
オリーブの木は まだ実を結ばないだろうか」とあります。 このように民が住むための〃良い土地〃
の条件のひとつとして、ザクロが育つことを挙げてい ます。それほどザクロは命を支える重要な食べ物
だったのです。」

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豊穣と子孫繁栄のシンボル

   豊穣のシンボルであるザクロは、王家や一家一族の繁栄のシンボルともなっていきました。
 「イスラエルのソロモン王(紀元前971〜932)は、13年という歳月を費やし、レバノン 
の森に壮大な宮殿を建て、権力を誇示しました。宮殿の中で最も大きく目立つ二本の柱には、
その頂に200個の青銅製のザクロの実が、段をなして並びかざられていました(『列王記』 
『歴代記』)。古代、ザクロが子孫繁栄の象徴となったのは種子が多いからでした。‥‥
現在 の研究で、ザクロの実には女性ホルモンが多量に含まれていることがわかりました。
これは 偶然の一致なのでしょうか。不思議としかいいようがありません。」

  またそのほか、いろいろな場面、書物、聖典にもザクロはシンボルとして登場します。
「紀元前14世紀のエジプトのツタンカーメン王の墓の埋葬品にも、豊穣と多産の象徴として、 
ザクロをモチーフにしたデザインが数多く使われていました。古代ギリシャの詩人ホメロス 
(紀元前9世紀)の作品である『オデュッセイア』の中でも、ザクロは「天国の楽園の樹」とう 
たわれています。ホメロスは吟遊詩人として、ギリシャ諸国を遍歴したと伝えられています。
当時ギリシャ人は、アフロディーテ(愛の女神)がこの果実をギリシャにもたらしたと考えてい
ました。ザクロを豊穣の象徴と見ていたことがうかがえます。」

 「イスラム教の経典「コーラン」にも、ザクロはイチジクと同様にしばしば登場します。  
偉大な神アッラーは、人々に神の力を示すため、多くの効能を一つの実に集約させました。
その象徴として、結実したザクロが与えられたといいます。また、コーランでは、ザクロを 悟りの
シンボルとしています。悟りを拓いた人の偉大な象徴であると定義しているのです。」

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愛と妊娠のシンボル「ザクロ」

ギリシャ神話オウィディウスの「転身物語」で、決定的な役割を演じるザクロ「ユピテル (ゼウス)
とケレス(豊穣の女神)の娘であるプロセルピナに一目惚れした冥界の王プルトは 彼女を強引に冥界
へ連れていきました。これを知った母ケレスは父ユピテルに、娘を地 上に呼び戻し、誘拐した
プルトを婿として認めてくれるよう頼みます。ユピテルはこの 頼みを聞き入れ「パルカエの掟、
すなわち、プロセルピナが冥界の食物にまだ触れてい ないなら、呼び戻してやろう」といいます。
しかし、若いプロセルピナはすでに断食の掟 を破り、手入れのゆきとどいた美しい園を散歩している
ときに、たわわに実ったザクロの 実をもぎとって食べていたのでした。そのため、彼女は地上に
完全に戻ることができず、 地上と地下で半々に暮らし、「冥界の女王」と「大地と豊穣の女王」
になりました。‥‥

この 神話は「穀物の種子が地中にまかれ、芽を出し実を結ぶ」という事実の反映でしょう。また、 
プロセルピナがザクロの実を食べたということは、プルトの子を身ごもったことをあらわ しています。
ここでもザクロは、愛の交わりと妊娠の象徴とされています。 「種子自体は死んでも、そこから
新しい芽がふく」というこのギリシャ神話を、キリスト 教では死と復活の教義に転用しています。
つまりザクロは、再生と不死のシンボルとさ れているのです。」

ローマ神話 ジユノーとザクロ 「ローマ神話でもザクロは豊穣、多産の象徴とされています。
最高の女神ジュノー (ジュピター、ギリシャ神話ではゼウスの妻)は、婚姻と財産の女神であり、
女性と結婚生 活者の保護者でもあります。そんな彼女の好物はザクロでした。」

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中国では縁起物のザクロ

「中国にもザクロにまつわる伝説は多くあり、今でも最高の果実とされています。ザクロの木
 を鬼門の方角に植えて、魔除けとする風習も残っているようです。
 八月の十五夜の中秋名月祭には、ザクロの実を供えて月を祭ります。重陽(旧暦九月九日)
 の節句には、小麦粉、またはもち米でつくった饅頭のようなものにザクロの種、粟の実、銀杏、
 松の実をちりばめ、贈り物の上に載せました。この風習は宋の時代の『張俊供進御筵食単』
 に記載されています。」  

「中国でも、ザクロは種子を多く持っていることから子育ての信仰につながっています。
 そして、子孫  繁栄の象徴として、ザクロは蓮の実とともに結婚式の祝宴のテーブルに飾ら
 れます。このように、ザクロは節句や新婚のお祝いに欠かせない縁起物とされています。」

「ザクロをたたえた呼び方はいくつもあります。道教では人の体内に三つの悪い虫がいると
 いわれ、ザクロはこれを制してくれるので、三尸酒と呼ばれました。広東地方では、色・
 香り・味のよさ、すべ  てが備わっているということで「女人狗肉」と称しています。」

「中国では果皮を漢方薬として使い、実は生で食べたり、酢や酒の材料に使用し、樹皮は果
 皮とともに白髪染に使います。」

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故郷オリエントから全世界へ伝えられたザクロ

「ザクロの原産地はオリエント一帯、すなわちイラン(ペルシャ)、アフガニスタン
  あたりの小アジアです。イラン周辺のザクロ種は、イヂジクやブドウと同じように、
  有史以前から栽培されていた果樹であり、珍重されていました。原産国イランでは、
  現在でも、全土いたるところでザクロの木が見られます。樹齢200年でも実を結
  ぶザクロ園は、大切な財産として代々引き継がれています。」

「果実の姿がまるで冠をかぶったように見えるザクロは、その効果の偉大さをたたえられ、
 『果実の王様』と呼ばれ、多くのイラン人に愛されています。実を食べることはもちろん、
  ジュースや、食前酒としてザクロ酒を飲んだり、焼いた羊肉にかけるタレにしたり、毎日
  の食生活に欠かせない食物として重宝されています。また、ザクロは食べ物としてだけでなく、
  伝統ある高貴な果実、聖なる植物として珍重されています。ほとんどのペルシャじゅうたんに
  はザクロのつぼみや果実がデザインのモチーフとして使用されています。おそらくペルシャ
  の人々は、神秘的ともいえるザクロの紅い色を、生命の源「血液」に通じるものとして崇拝
  していたのかもしれません。」

「イスラム教徒の移動により、ザクロの栽培地域も広がっていきました。イスラエル、
  ギリシャ、エジプト、シリアなどのオリエント地方やイタリア、スペインなどの地中海沿
  岸の南欧、北アフリカ地方などで果樹として栽培されるようになりました。その後、新大陸
  発見時代を迎え、中南米、メキシコへ渡り、さらに北アメリカへと広がっていきました。
  このように世界中に広がったザクロは、各地でその風土や地理的条件、さらには歴史的、
  宗教的背景によりさまざまな変化をとげました。たとえば、スペインの国花はザクロの花です。
  アラブ民族の侵略がもたらした結果の象徴といえるでしょう。」

「中国では、華北・華中地方で果樹や花木として栽培されています。果実の大きいものは、
  大果品種と呼ばれ、一個の重量が500〜700グラムもあります。有名大果品種には、
  水晶石榴、剛石榴、大紅石榴などがあります。」

「アフガニスタンには、種皮の内部が木質化したタネナシザクロがあります。また、インド
  洋のソコトラ島には、別種の自生ザクロがあります。なぜこの土地に自生しているのか、
  はっきりしたことはわかりません。」

「アメリカ大陸でも、合衆国のフロリダ、ジョージア、ルイジアナ、カリフォルニアなどのほか、
  南米のチリにいたる温暖な地域で広く栽培されています。おそらく宣教師の布教活動とともに、
  スペインを経てメキシコから入ってきたのでしょう。」
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ザクロ各国語アラカルト
「英語でザクロは、17世紀に「カルタゴのリンゴ(Punic apple)と呼ばれましたが、
現在はポメグラネイト(Pomegranate)といいます。

  ドイツ語ではグラナタッフェル(Granatapfel)といい、「種子の多いリンゴ」といった
感じです。フランス語ではグレナディエール(Grenadier)といい、これがカクテルや清涼
飲料水の材料であるグレナデン・シロップ(Grenaden syrrup)につながったのかもしれません。
原産地イランでは、ペルシャ語でアナール(Anar)、またはナル(Nar)と呼んでいます。アラビア語
ではランマン(Ranman)というようです。」

「ザクロは漢字で『石榴』と書き、古くは中国の紀元前二世紀、漢の時代に呼ばれていた
『安石榴』の略です。〃安石〃とは、ペルシャの国、つまり現在のイランを指します。つまり、
ザクロは『安石国から中国に渡ってきたコブの木』という意味です。
  
ちなみに、こぶの形をしている手榴弾は、英語でグリネイド(Granade)といいます。
一月の誕生石ガーネットは、色・形・光沢などがザクロの粒に似ていることから『ざくろ石』
と呼ばれています。ザクロには「飲む宝石」という別名がありますが、これはザクロ石を意識
したことかもしれません。」

ザク ロを『石榴』と書く理由
「ザクロは漢字で『石榴』と書き、古くは中国の紀元前二世紀、漢の時代に呼ばれていた
『安石榴』の略です。〃安石〃とは、ペルシャの国、つまり現在のイランを指します。つまり、
ザクロは『安石国から中国に渡ってきたコブの木』という意味です。たしかにザクロの幹はね
じれて、でこぼこしており、こぶのようになっていますが、本当の由来は果実の姿にあります。
熟して裂けたザクロの中は荒々しく、ちょうど中国西域にある岩肌の重なり合った奇勝と似て
いることから、こぶがイメージされたのです。そこで『瘤』と発音が同じ〃リュウ〃である
『榴』の字が使われるようになりました。」

ザクロの語源は?
 「中国語でザクロは、チェリュウピー(北京語)、シーラオピー(広東語)と発音します。
    そのほかにも、錦香嚢、海榴(海外からきたものの意、唐時代に輸入していた記録がある)、
    錯石榴子、百花王、血珠、海石榴など多くの別名があります。日本では、『和名類聚抄』に
    よると『石榴』を『さくろ(佐久呂)』と発音します。そして、おそらく『若榴』は
   『じゃくろ』と読まれたと推測できます。これが次第に訛って、『ザクロ』になったのでは
    ないかと思われます。」
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日本とザクロ

日本 への道「ザクロ・ロード」
 「ザクロは、イランからアラビア、アフガニスタン、インドへと広がり、中国西域を経て漢時
代以降に日本へ伝わりました。いわば「ザクロ街道」を経て伝来したのです。『和名類聚抄』
に記載されているところをみると、平安期以前にはすでにザクロが伝来していたようです。
鎌倉時代中期には栽培も始まり、江戸時代中期にはかなり普及していたようです。果汁を菓子
や薬に用いたほか、鏡をみがくのにも利用されていました。」

古代 の国際交流舞台でも活躍したザクロ
『博物誌』の記述によりますと、
 「漢(紀元前2世紀)の張騫が西域のサマルカンド(中央アジア最古の都市、後のチムール
帝国の都)に外交使節大使として出使したおり、塗林や安石国の榴種を得て持ち帰った。
ゆえに安石榴と名付ける」とあります。
 「このとき張騫は、外交使節としてサマルカンドに18年滞在し、漢と西方諸国との交渉に
あたったといわれています。二国間の友好に一役かったザクロは、日本からアメリカに贈られ
た桜のような役目をしたのかもしれません。」

ザク ロ‐江戸時代の銭湯‐鏡の不思議な関係
「江戸時代の銭湯は、湯がさめるのを防ぐために、湯船と流し場との間を戸板で仕切っていま
した。かがまないと通れないこの小さな入り口は『ざくろ口』と呼ばれ、井原西鶴の
『好色一代男』にも描かれています。当時は、ザクロの果汁からとった酢で鏡をみがいていた
ので、『鏡に要る』と『かがみ入る』をかけたシャレです。」

日本 国内のザクロ分布図
 日本ではほとんど自生に近いままで放置され、本格的な食用や薬用として栽培されず、
品種改良もなされませんでした。むしろ、花が美しいので、花を眺めて楽しむことのほうが
多かったようです。

 「……花の美しさと、実も食べられるということで庭木として庭に植えている家もあります。
ザクロは、北海道以外の温暖な地域ではどこでも栽培できます。‥‥かつて西日本の住宅地
の庭には、必ずといっていいほどザクロが植えられていました。西日の強い西日本の夏の夕
暮れに見かけるザクロの実は独特の風情があり、オリエンタル文化が持つ穏やかさや、内側
に蓄積される質の良い文化の豊穣さを連想させてくれます。‥‥夏の終わりには、実の重さ
で枝垂れた枝先についた実がそれぞれにはじけ、中からさらに赤い実がこぼれるようにのぞき
ますが、その様は、まるで山火事にあってはじめて種をばらまく砂漠の植物にも似て、ザクロ
そのものの生命力をみごとに象徴しています。」

 「‥‥日本でもザクロを栽培している県があります。福島、奈良、広島、愛媛では栽培・
出荷されています。また、長野・香川・徳島・和歌山・千葉などでもザクロは栽培されて
います。しかし生産、出荷とも少ないことから、一部は輸入しています。1989年に
455トン、1990年に549トン、1991年に565トンとなっています。」

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日 本のザクロ伝説
おそれ入谷の鬼子母神伝説
「子宝を授け、安産、育児の神として信仰されている鬼子母神は、王舎城の夜叉神の娘であり、
鬼神主の妻です。仏説では訶梨帝母(カリテイモ)とも呼ばれます。
  鬼子母神は千人も万人もの子を産みましたが、他人の子を奪って食べるという悪食でした。
そのため、釈迦が彼女の最愛の末っ子を隠して戒めたといわれています。そして釈迦は鬼子
母神に、人の子を食べる悪癖をやめさせるため、代わりにザクロを食べるようにすすめたの
です。その後、鬼子母神は発心し、仏法を守るようになりました。そして求児・安産・育児
などの祈願をかなえる護法神として信仰されるようになりました。
  鬼子母神の像容は、ふところに赤ん坊を抱き、右手に吉祥果を持っています。この吉祥果
はザクロです。また、その神紋もザクロとされています。」

 「一方、日蓮宗では鬼子母神を信仰していることもあり、ザクロの絵馬を奉納したり、食用や
薬用にザクロの木を境内に植えたりします。」

 「鳥取地方では『ザクロの木には鬼子母神が腰かけているので、屋敷内に植えたり、むやみに
切ったりしてはいけない』といいます。」

さ まざまなザクロ伝承
「‥‥『ザクロを屋敷に植えると病人が出る、火事になる』『屋根より高くなると家が栄えない』
と嫌うところがあるかと思えば、逆に吉木とされ、『ザクロを植えると家が繁盛し、子宝に
恵まれる』と歓迎するところもあります。茨城県では『ザクロの木の下で子供を遊ばせると疳
の虫を封じる』といいます。」
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男のザクロ・女のザクロ
「女性ホルモンなどは全く知られていなかったはるか古代の昔から、西洋でも東洋でも、多産、
豊穣、子孫繁栄などの象徴としてザクロが崇められていたのは、実に不思議なことです。
これは古代人の第六感によるものなのでしょうか。それとも、ザクロを日頃食べている女性が
十二分に、女性としての機能を発揮するという客観的事実もあって、ザクロは果樹として高い
地位を獲得し得たのでしょうか。いずれにせよ、ザクロはまさに男女の愛の交わりと妊娠の象
徴として、名実ともにふさわしい植物なのです。」
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